西日本旅行 熊本県 幣立神宮1/2
2014/10/4~12 7泊9日 走行3200キロ (ページ22/29 ) 前のページへ 2025/8更新
五日目 2014/10/8(水)
14:37 宮崎県にある高千穂峡から熊本県にあるパワースポットの幣立神宮に向かう14:47 幣立神宮駐車場に到着
駐車場は道路の向かい側にもあって広い
右側に細い道が続き拝殿近くまで行けそう。駐車スペースもあった
創建は不詳で、神武天皇の孫である健磐龍命(タケイワタツノミコト)が、幣帛を立て天神地祇を祀ったのが始まり。主祭神は神漏岐命(カムロギノミコト)・神漏美命(カムロミノミコト)・天御中主神(アマノミナカヌシノミコト)・天照大神(アマテラスオオミカミ)・大宇宙大和神(オオトノチオオカミ)
五年毎に開催される「五色神大祭」は、世界の全ての神は天之御中主から生まれ、世界の人々は日本から生まれたものとして、世界の人類を示す「五色の面(赤、白、黄、黒、青(緑)人)」が納められ、地球規模の平和を願う
なんか重い言葉
高天原とは「古事記」に登場する神々の生まれる場所・天津神の住まう場所。神話の「出雲の国譲り」により天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫の瓊瓊杵命(ニニギノミコト)が高天原から高千穂へ天降った(天孫降臨)伝説がある。現世の「天下り」は「天降り」から由来する
手水舎
案内板には、日の宮は私たちみんなの親神様がいらっしゃるふる里のお宮です。天照大御神様は天岩戸からお還えりになり御霊はここにお鎮まりになりました。神武天皇様は大和へ遷都された後も故郷を大事にされ七度御参宮になり民族の繁栄と平和の祈願をされました。大古には世界人類のふる里として親しくここに集いその弥栄を親神様に祈りました。身を清め心を正して世界の平和・地球の安泰を祈りましょう。と書いてあり地球規模でなんか凄い
幣立神宮 由緒書き
呪文みたいで難しい。祭神に大宇宙大和神と大宇宙が付く名で宇宙規模の神様なのかも
階段を上がると拝殿。境内はこじんまりとしている
現在の拝殿は1729年細川宣紀により改修された。拝殿の右には天神木と呼ばれるヒノキのご神木で、天に向かって二本の幹が悠然とのびている
現在の御神木の幹は崇神天皇の御世に十代目として生まれたといわれ、初代から数えて約1万5千年の命脈を保っている。この天神木は上部が枯れても、朽ちることなく根元から次々に新芽が出て生き続けているといい、全国の神社のヒノキは、この一本の天神木から発生したと言われている。この天神木の頂は「高千穂」と呼ばれ千本の穂が球体をあらわすような姿であったが、1991年の台風でその部分が拝殿の屋根に落下し、屋根が吹き飛ばないようを守ったという。現在でもその落下した部分は天神木の高千穂として拝殿右手に祀られている
天神木の高千穂
拝殿左
彫刻が見事
天児屋命・風の宮大神・雨の宮大神・火の宮大神を祀っている。天児屋命は「日の宮」の初代神官とも言われる
伊勢の内宮
天神木の首っ玉
案内板には日の宮の天神木は、悠久一万五千年の命脈を保っている世界一の巨桧です。この根に立った十代目が崇神の世で、九代目が天照の世の鏡コブが見えます。そして十一代目が緑の神木。この三木に帰一してこそ世界平和があります。と書かれてある
伊勢の内宮
ここに天照大神の御霊がいらっしゃると言われる
後ろに神漏岐命・神漏美命が降臨された御神木のヒノキ。命脈15000年と言われ、命脈とは同じ株から木が繰り返し生えること。現在の御神木は10代目または11代目にあたり、その樹齢は約2,000年と推定されている
後ろに巨木がそびえたつ
昭和緑の天神木
案内板には、昭和天皇の御代に生まれたので、四月二十九日に御幣を立てていましたが、崩御によってこの日は旗日となり、現在も変わらず御幣を立てて祝っています
大嘗祭の記念
昭和天皇(天神木の若木・緑の神木)
明治天皇(天神木の二またに・ツゲの神木)
とある水神宮で、水波能賣神(ミズハノメノカミ)、日子八井命(ヒコヤイノミコト)を祀っている
大野神社で、應神天皇と健磐龍命(タケイワタツノミコト 阿蘇神社主祭神)を祀っている
大宇宙大和神の碑
大宇宙大和神は日本神話以前の古い神様で、宇宙神が人の姿をとった最初の神様(人格神)と言われている
大宇宙大和神は日本で唯一幣立神宮に祀られている
1904年2月、日露戦争開戦に当たり日本全国の8ヶ所の神社に戦勝祈願せよとの神示が宮中に降ったとされ、その中に幣立神宮が含まれていた。幣立神宮以外の7つの神社はいずれも各地の有名な一の宮であったことから、これに感激した氏子がこの記念として、この時記念樹として植えたそうだ
15:03 境内の左奥には鳥居と東御手洗の案内看板
東御手洗の案内看板には
神代の昔、皇孫瓊々杵尊は、この神水で全国の主要地を浄められ、中国の始皇帝は、不老不死の霊薬をこの神水に求められました。更に、沖縄の本土復帰や、両陛下のご渡米には、先駆の浄め役となり。次いで昭和55年3月15日に、李玖殿下が、この水をお持ち帰られたので、翌年6月21日は金剛山の石笛が神納せられ、ソウル五輪の産婆役となりました。
下り右へ200米ル
と書いてある。 鳥居をくぐり下へ下る