西日本旅行 熊本県 熊本城
2014/10/4~12 7泊9日 走行3200キロ (ページ27/29 ) 前のページへ 2025/8更新
七日目2014/10/10(金)
11:16 熊本城二の丸駐車場に到着。9年前に一度来た事があるので2回目の訪問
2時間まで200円 以降1時間ごと100円 2025/8
熊本城、は日本三名城のひとつ熊本城は加藤清正が1591年から千葉城・隈本城のあった茶臼山丘陵一帯に城郭を築き始め、1600年に天守が完成し、1606年に城が完成し、翌年「隈本」を「熊本」と改め熊本城となる。大小天守閣をはじめ、櫓49、櫓門18、城門29を数え、城郭の広さは約98ha、周囲約5.3kmにも及ぶ豪壮雄大な構えで、清正流石垣と呼ばれる優美な石垣と、自然の地形を巧みに利用した高度な築城技術で造られている。明治になると廃城となり、西南戦争では薩摩の大軍を迎えて、籠城に耐えて不落の名城として真価を発揮した
朝のニュースのTKUテレビ熊本『英太郎のかたらんね』の番組で「秋のくまもとお城まつり」が9月1日~10月31日まで行われていて、「食の陣」では熊本の名産が食べられるテナントがたくさん出展していて、今日の夕方から二の丸広場特設ステージで十七人のサムライ野外特別ライブが行われると、熊本城おもてなし武将隊が紹介していた
木造二重三階の隅櫓で、建築面積約119平方メートルで建築費約3億円で平成15年8月に復元された
行幸橋際にある清正公像。1979年に作成された
飯田丸五階櫓。熊本城の本丸は「天守台」「平左衛門丸」「数寄屋丸」「飯田丸」「東竹の丸」「竹の丸」「西出丸」に分かれ、飯田丸の南西隅に建つ五階建ての櫓が飯田丸五階櫓。飯田丸の名称は加藤清正の重臣、飯田覚兵衛が管理していたことから呼ばれた。熊本城南面防衛の要であり、櫓と塀で囲い込まれ、内部には井戸や台所、鉄砲蔵が設けられている。西面には西櫓門を備え、出撃することも出来、飯田丸五階櫓だけでも天守閣の役目を果たしていた。明治になり取り壊されたが平成17年に復元された
南坂を上り 天守へ向かってみる
入園料 高校生以上 800円 小・中学生 300円 未就学児 無料 2025/8
12:30 西出丸の先には加藤神社があり寄って見た
境内には大きな銀杏の木があり、熊本城築城の際、大天守前の銀杏と共に、加藤清正公が手植えしたそうだ
加藤神社には熊本城の絶好の撮影ポイントで、武者返しや天守閣が間近に見える
天守閣は茶臼山の最高所に築かれ、大小2つの天守からなり、大天守は外観3層内部6階地下1階で、小天守は大天守成立後に増築されたもので、景観を考慮し西にずらして建てられていて、外観2層内部4階地下1階で、内部は居住を意識した造りになっていて、地下には井戸も掘られ、天守のみでの籠城も可能な構造になっている。現在の天守閣は1960年に、総工費1億8,000万円をかけて、鉄筋コンクリートで外観復元された。天守閣内部は熊本博物館分館となっていて、1階は加藤家時代、2階は細川家時代、3階は西南戦争関連の資料を展示していて最上階は展望所となっている
白髭大明神ののぼり
石垣を登ってくる敵に石を落とす仕掛けの石落しがあった
二の丸広場では「食の陣」があり、9月1日~10月31日まで開催していて熊本の名産が食べられ、10店舗ほど営業していたが閑散としていた
今日の夕方から二の丸広場特設ステージで十七人のサムライ野外特別ライブが行われるらしい
13:10 次は熊本ラーメンを食べに黒亭に向かった