一人旅 群馬旅行7 金山城跡1/7 史跡金山城跡ガイダンス施設
2022/7/20 2泊3日 走行480km (ページ1/18 1~7金山城跡 8やんば見放台 9~15万座ホテルジュラク 16幻のキャベツ 17~18中之嶽神社)
仕事中に足をフォークリフトに踏まれ足を骨折し、会社からは労災にすると色々と面倒と言われ、一ヶ月間は給料は保証するがそれ以降は、有休がたくさん溜まっているだろうからと有休を使えと指示された。倉庫業は過酷な現場で人手も足りなく有休など気軽に使える状況に無い職種。
一ヶ月が過ぎ、7月初旬にやっとギブスが外れたが、激痛はまだ残り筋力が落ち歩くのがまだ困難な状況で有休を使い療養する。
会社からの状況報告の連絡は面倒で、まだ痛みが続いていたがやっと歩けるようにはなっていたので来週の24日から仕事に復帰することにした。有休を使って療養しているし仕事に復帰前に郡馬県の温泉に湯治に行く事にした。
6:00頃 千葉を出発し高速には乗らず下道を走り、まずは前から気になっていた100㎞程先にある山城の金山城に向かった。金山城に隣接したぐんまこどもの国には10数年前に訪れサマーボブスレーを楽しんだ。
スマホを使いグーグルマップのナビとカーナビをためしに両方使ってみたらグーグルマップのナビの方が情報が最新なので到着予定時間が30分も早かった。川沿いの信号のない県道を走り時短になった。
7:52 茨城県五霞
8:43 栃木県佐野
9:21 群馬県太田市に入り金山城跡まであと3㎞。
9:26 金山城手前にある史跡金山城跡ガイダンス施設に寄る。史跡金山城跡ガイダンス施設は、金山城跡の歴史を紹介する歴史学習の場、金山来訪者の憩いの場として、2009年5月に金山の麓に開館した。金山城跡に行く前に史跡金山城跡ガイダンス施設である程度の情報を得てから金山城跡を歩いたほうがより金山城跡を楽しめる。
施設は建築家 隈研吾 氏による設計で外壁には金山城の石垣をイメージした石板が配置されている。
駐車場は施設前に11台止められる。近くの市営駐車場にも止められるそうだ。
大光院駐車場120台
金龍寺南駐車場30台
金龍寺東駐車場20台
東山公園親水広場入口駐車場20台
臨時駐車場30台
駐車場前には東屋があり休める。
いきなり険しそうな登り道でここから金山城跡まで行くには最低限の登山装備は必要そうだ。
史跡金山城跡ガイダンス施設入口。
施設に入ると人っけは無く、1階には太田市金山地域交流センターになっていて2階が史跡金山城跡ガイダンス施設になっている。受付の必要は無く入館料は無料で自由に見学できる。利用時間は9:00~17:00で休館日は月曜日(月曜休日の場合は翌日)、年末年始(12月29日から1月3日まで。)
史跡金山城跡ガイダンス施設 案内図
講演会場などのコミュニティールームや体験学習室が2室あり有料で借りられる。
体験学習室1
施設使用料 午前( 9:00~12:00)400円 午後(13:00~17:00)400円 1日( 9:00~17:00)800円 <定員20名 感染症防止のため10名に制限>
体験学習室2 ※調理台---5台・電磁調理器---5台 ※環境保全のため、油を使用した調理はは不可。
施設使用料 午前( 9:00~12:00)600円 午後(13:00~17:00)600円 1日( 9:00~17:00)1200円 <定員20名 感染症防止のため10名に制限>
コミュニティールーム
施設使用料 午前( 9:00~12:00)500円 午後(13:00~17:00)500円 1日( 9:00~17:00)1000円
金山城 物見台・馬場下通路の模型。(スケール 1/35)
西城から実城へ向かう尾根づたいに向かう中間地点にあり尾根上の守りの要所の物見台・物見台下虎口周辺の模型。
虎口へと続く通路は攻め手の兵が二列で進むのが難しい位狭く、石敷きの通路面はわざとゴツゴツさせて走りにくくしている。この通路を攻め込む兵は左手の曲輪や正面の櫓から攻撃されながら進む事になる。矢倉前にある堀切の手前で鍵の手状に折れ曲がり、石敷き通路を進む攻め手には道が途切れているように見える。石敷き通路の先は城門で塞がれているので速度を緩めざるおえなく、上方の物見台とその周辺から矢玉が降り注ぎ攻撃される。
物見台下堀切と土橋(石積み)
上段曲輪と物見台。
攻められた時に木橋を壊せばさらに防御力があがる。
竪堀脇には石垣がありここからも攻め手を攻撃できる。
金山城 大手虎口の模型。(スケール 1/35)
大手虎口周辺は金山城の中枢部を守る上で最後の防衛ラインの一つ。虎口は堅牢な城門で守られ、正面のみならず左右の高い曲輪からも矢玉を浴びせかけられる造り。
大手虎口城門。
城門の先は曲がり道になっていている。
城門を打ち破る事が出来てもその先の中央通路は緩やかな曲り道で見通しが利きづらい。石敷き通路面は階段状に上がり、中ほどでは通路幅が狭くつくられている為に、実際の距離よりも遠く感じられるよう遠近法によるトリックが仕掛けられている。
中央通路の左側には、上段曲輪・中段曲輪・下段曲輪があり攻め手は上から猛攻される。
中央通路右側には南曲輪・中段曲輪・下段曲輪。
ガイダンスルーム。史跡金山城跡の約120年間の歴史を紹介していて、年代に沿って左回りに展示がされている。金山の歴史を映像や解説文や展示物等で学べる。
戦国シアターは現在休止中。2台設置されたコントローラーを使って擬似体験が楽しめるバーチャル体験マシーンの「城ナビ」は調整中だった。山城の上空を飛び回り、山頂に広がる城の見どころや今昔の様子を見ることができる。
発掘調査の出土遺物の展示。釘・ヤットコ・タガネ・瓦など。
古銭・硯・鞘尻・切羽・火縄銃・大筒の弾丸等。
1108年 古代新田郡の地は浅間山の噴火による火山灰で大きな被害を受け、その復興を源氏一族新田氏の祖義重によって行われこの地に新田荘が成立、荘園内の各地に一族が広がった。鎌倉幕府を倒した新田義貞の死後、15世紀中頃から新田荘を支配したのが新田氏の一族の岩松家で、1469年に岩松家純は重臣の横瀬国重に金山城の築城を命じ新たな軍事拠点にした。岩松家純の没後、主君岩松氏を排して金山城主になった横瀬氏(由良氏)は新田領支配の為の本拠地として金山城は拡大し整備される。
戦国時代の後半になると金山城のある新田領は、西に武田氏・北に上杉氏・南に北条氏と大国に囲まれていたが、対立・和平を繰り返し状況を見極めながら、由良氏の巧みな外交戦略で戦国時代を生き抜いていた。
新田領は大名たちの迫間に位置していたため大名たちとのつながりをもち、敵対する大名同士が和平を結ぶ際、仲を取り持つこともあったそうだ。戦国時代の末期には由良氏が北条へ城を明け渡すとういう事態に陥った。
金山城の歴史における象徴的なシーンのジオラマが4つ展示されていた。
1469年 岩松家の統一を遂げ岩松家純が入城する 金山城事始
1495年 横瀬氏が下剋上により城主としての実験を握る 明応の乱終結
1569年 上杉・北条氏の和睦を城主由良成繁が取り仕切る 越相同盟交渉進展
1584年 金山城は開城し、北条氏の支城となる 金山城大改修
金山城跡は日本100名城の一つ(17番)で100名城のスタンプはここにはなく、金山城跡の南曲輪にある休憩所まで行かないと押せない。楽して押させず素晴らしい史跡を見てもらいたいと太田市職員の気持ちが伝わる。
9:50過ぎ 金山城跡まで一番近い駐車場(モータープール)に向かった。
史跡金山城跡ガイダンス施設
住所 群馬県太田市金山町40-30 TEL 0276-25-1067 営業時間 9:00~17:00 休館日 月曜日(月曜休日の場合は翌日)、年末年始(12月29日から1月3日まで。) 入館料 無料 駐車場有