一人旅 群馬旅行7 金山城跡2/7 駐車場 西矢倉台堀切

 2022/7/20  2泊3日 走行480km (ページ2/18 1~7金山城跡 8やんば見放台 9~15万座ホテルジュラク 16幻のキャベツ 17~18中之嶽神社) 前のページへ


10:00 金山城跡モータープール(駐車場)に到着。金山城跡の西城横に位置し、実城(本丸)まで一番近い駐車場。駐車場と言わずなぜモータープールと呼ばれるのか気になる。


金山城跡の西城にある駐車場は40台程止められる。平日で車は数台程止まっていた。


駐車場には展望台があり下がトイレになっていた。トイレは歴史を感じ少し臭う。展望台に上がってみた。


展望台からは太田市内を眺められる。夜は夜景が綺麗で恋人達のデートスポットになっているそうだ。



展望台下にはハイキングコースが続いていて、先ほど寄った史跡金山城跡ガイダンス施設に繋がっている。平日でもハイキングしている方々が結構いた。


10:06 駐車場から急な石段を上がり実城(本丸)へ向かう。史跡金山城跡ガイダンス施設でもらったパンフレットによると駐車場から実城(本丸)までは、往復60~90分・片道700m・標高差50m。過酷だった伊豆の北条氏邸跡のある守山山頂までは標高差86.5mだったので、少しは楽そうだ。


石段を上がるとハイキングコースになっていて案内板があった。ここからぐんまこどもの国のサマーボブスレー乗り場まで繋がっていて、時間と元気があれば一日楽しめそうだ。10数年前にサマーボブスレーにのったがスリル抜群で大人でも楽しかった。


案内板の後ろは西城跡で少し高台になっている。案内板を右に進むとり実城(本丸)方面で、西城を抜けるとぐんまこどもの国まで行ける。ぐんまこどもの国までは現在通行止めになっていた。


案内板を左に100m程進むと見附出丸に行ける。見附出丸にも行きたかったが時間がないのでまたの機会に。


西城横のハイキングコースを進む。いったん下る。夏場なので虫は結構飛んでいる。


10:09 駐車場から100m程下ると金山城跡の碑のある開けた場所にでた。左右に道が二つあるが左側は管理用道路でどちらからでも行ける。管理用道路は一般車通行禁止。


大きな金山城跡の総合案内板があった。
金山城は、標高239mの金山山頂の実城(本丸)を中心に、四方に延びる尾根上を造成、曲輪とし、これを堀切・土塁などで固く守った戦国時代の山城。特筆されるのは、石垣や石敷きが多用されていることで、従来、戦国時代の関東の山城に本格的な石垣はないとされた城郭史の定説が金山城跡の発掘調査で覆された。 主な曲輪群は実城・西城・北城(坂中・北曲輪)・八王子山ノ砦の4箇所で、山麓にも城主や家臣団の館・屋敷があったと考えられ、根小屋(城下)を形成していた。
 

東屋や水道があり休める。


前にいたハイキングの方につられてしまい管理道路側から進む。段差が無く歩きやすい。


露岩が凄い。


尾根道に整備されたハイキングコースに合流すると比較的緩やかな登り道。

 
ハイキングコース途中に案内板があるのは現在地がわかり有難い。


周りに木々が生い茂り日差しを遮ってくれるので夏でも涼しかった。


旧通路の案内板。


旧通路。草木が生い茂り少しわかりずらい。秋か冬にははっきり見れそう。この先に桟道があるがあるが現在は腐食の為通行止め。



10:12 少し開けた場所に出た所に西矢倉臺西塹壕の石碑。


近くに西矢倉台西堀切の案内板。この堀切は西城から実城(本丸)までの間にある4つの堀切のうち一番西寄りにある堀切で、この堀切は他と異なり堀底に石を敷いて通路として利用していて通路の先は桟道へと続いている。
通路の北側には柱穴があり敵兵の北側からの侵入を防ぐための柵があったと考えられる。堀切の西脇には、堀切を掘り下げる際に出た土や石を土塁状に盛り上げ、堀切内を敵兵から「隠す」ための工夫がなされていた。この土塁状の高まりの下から通路の縁石が見つかり、堀切内の通路より古い通路があったことがわかり、古い時期には桟道から西へ通路が延びていた。


西矢倉台西堀切。堀底に石が敷かれていたが枯葉が溜まりわかりずらい。西矢倉台西堀切の先は桟道へと続いている。


赤い矢印が旧道。


桟道。


西矢倉台西堀切通路北側の柵。敵兵の北側からの侵入敵を防ぐ役目をしていた。


木橋を進む。


少し上がると二つ目の堀切の西矢倉台下堀切。西矢倉台西堀切にあった、西矢倉臺西塹壕の石碑がまたある。金山城跡が1934年に国の史跡指定された時に設置され、当時2つの塹壕(堀切)は同じ名前だったそうだ。


西矢倉台下堀切の案内板。西矢倉台下堀切は西矢倉台の西下に造られた防御施設で西城から実城(本丸)へ向かう間の二番目の堀切で、堀切は実城に近づくにつれ幅が広く、深く造られている。断面の形状は、上部が逆「ハ」の字であるのに対して、下部は逆「Π」の字に掘られ、簡単に攻め登れないように工夫されている。この堀切は西矢倉台西堀切のように通路として使われた跡は無い。
 

西矢倉台下堀切。堀底は今より1.5m深かったそうだ。


実城までの道を進む。昔の道ではないそうだ。


西矢倉台付近に石垣の遺構が残っていた。


右側に開けた場所があり曲がってみた。


歴史を感じるベンチがあり休める。


西矢倉台通路の案内板。西矢倉台通路は西矢倉台と馬場曲輪をつなぐ内部通路。
旧時期と新時期の通路があり、外側(谷側)が旧時期、内側(山側)が新時期であると考えられる。

ここから太田市街が少し眺められる。



旧時期の通路。


左が新時期通路・右が旧時代通路。


復元された新時期通路。石敷の通路で物見台下虎口まで続いている。


石敷。物見台下虎口へ向かった。

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