一人旅 群馬旅行7 金山城跡3/7 物見台下虎口 馬場下通路 物見台
2022/7/20 2泊3日 走行480km (ページ3/18 1~7金山城跡 8やんば見放台 9~15万座ホテルジュラク 16幻のキャベツ 17~18中之嶽神社) 前のページへ
馬場下通路の案内板。物見台下土橋から竪堀までの間には石敷きの通路が発見され、この通路は防御上、土橋から見通せないように曲がった通路となっていて、通路は竪堀にかかる木橋方向と掘底へ下りる階段へ分岐している。
石敷き通路の南側には、谷側からの敵に備えて通路を隠すと共に、敵を威圧するための土塁石垣が通路に沿って約22m設けられていた。
物見台下堀切に架かる土橋の先は石垣や曲がった通路により先が見透せなくなっている。攻め手は物見台下虎口や上にある物見台から攻撃され攻めるのは困難。
土橋。
木橋を渡ると狭い通路が続いている。
馬場下通路の案内板。木橋の東側では石敷き通路が岩盤斜面を登って物見台から馬場曲輪に通じる通路へと合流する。この通路は東端で行き止まりになっていて、通路に面して建物の礎石や岩盤を刳り貫いた柱穴が発見され、この狭い通路添いに2棟の建物が存在していた。この馬場下通路には敵兵への防御と攻撃のための工夫が各所に見られる。
礎石建物阯。
馬場下通路を進むと左の岩盤に作られた石階段。
真っすぐ進んでしまうと馬場下通路はここで行き止まりになっていて掘立建物跡があった。
馬場通路・石塁の案内板。物見台から東の北側斜面際では、物見台基壇と一体となって造られた幅約1.2mの石塁が約72mの長さで発見された。この石塁は北の長手口からの攻撃に備える防御上の効果があったと考えられる。
物見台から東の南側斜面際では、石敷きされた通路が発見された。この通路は物見台と東側に位置する馬場曲輪を結ぶと共に途中で南下にある馬場下通路へと分岐している。
物見台の案内板。物見台の基壇は自然の地形に沿って等脚台形に造られていて、基壇中央から物見矢倉と考えられる柱穴が4本発見されている。また、物見台基壇からは、釘や火縄銃の弾丸が出土している。この物見台からは、金山城の周囲が良く見通せるため、敵(上杉謙信:天正2年)は、物見台から死角となる藤阿久へ陣を構えた。