一人旅 群馬旅行7 金山城跡4/7 馬場曲輪
2022/7/20 2泊3日 走行480km (ページ4/18 1~7金山城跡 8やんば見放台 9~15万座ホテルジュラク 16幻のキャベツ 17~18中之嶽神社) 前のページへ
馬場曲輪は大手虎口を守る兵が待機していたと思われる曲輪。
馬場曲輪の案内板。物見台から東に向かう通路は、北斜面際の石敷通路を経て、馬場曲輪へと至る。馬場曲輪の調査では岩盤を刳り貫いた柱穴が240個以上見つかり、位置関係から建物や柵列があった。建物は少なくとも5回の建て替え、曲輪の生活面は3回の造成があり、頻繁に造り替えを行っていた。
廃城時期の馬場曲輪における、建物3棟のうち両側の2棟は平面表示とした。中央の1棟は柱穴の位置を利用して新たに四阿を建てた。(現在は平面表示)曲輪の中央部分に石組み排水路、曲輪全体を囲む柵列の存在も明らかとなり、あわせて整備した。馬場曲輪の調査では、上下2段の石垣と、弧を描く根石列で区画された小さな曲輪が発見され、ほかにも石階段がみつかり、曲輪を通る通路形態が明らかになった。
馬場曲輪からの大堀切。
馬場曲輪下の月ノ池からの大堀切。
馬場曲輪の上下2段の石垣と大堀切。
馬場曲輪の上下2段の石垣。
馬場曲輪から左側が馬場下通路の行き止まり。右側が馬場通路。写真左側から出て左側に曲がり下り道を進み本丸方面へ向かう。
碑の後ろは急斜面の崖になっている。南から攻めるにも大変だ。
管理用道路に出て右に曲がると馬場下通路が下から眺められそうだ。奥に曲輪みたいのがあり行ってみた。
馬場下曲輪。右上に馬場下通路。結構広い。
馬場下曲輪の案内板。馬場下通路の南下に立地する馬場下曲輪は発掘調査の結果、岩盤を刳り貫いた建物の柱穴がみつかった。また竪堀に沿って石垣でできた土塁が延びていることがわかり現在整備した土塁は石垣が崩れた状態を表現している。
馬場下曲輪の奥まで行くと竪堀の石垣土塁が違った角度から見れる。
月ノ池の碑。
月ノ池の案内板。発掘調査前の月ノ池は、汚泥が堆積する窪地状の池だったが調査の結果、月ノ池も日ノ池と同様に上下二段の石垣で囲まれた戦国時代の池だった。下段の石垣は石敷き平坦面から約2m下に積まれて、その内側からは加工された建築部材や石垣の石が大量に投げ込まれた状態が見つかった。この石垣については最上部以外、戦国時代の石垣をそのまま残して整備した。
月ノ池の底は粘土層になっていて、谷斜面からの表流水や浸透水が溜まるようになっていた。月ノ池は池の石垣が一段しかなかった時期があったこともわかり、月ノ池は谷地形を利用して造られているため、一段の石垣だけでは集中豪雨時に水があふれたと考えられる。そのため水があふれないように、かつ水をより多く蓄えられるように、池の中心を東に移動させ上下二段の石垣に改修したものと考えられる。
大手虎口に向かう。右の道は管理用道路。