一人旅 群馬旅行7 金山城跡7/7 新田神社 実城(本丸)
2022/7/20 2泊3日 走行480km (ページ7/18 1~7金山城跡 8やんば見放台 9~15万座ホテルジュラク 16幻のキャベツ 17~18中之嶽神社) 前のページへ
御台所曲輪。
御台所曲輪の石碑。
左側に本城の案内板。金山城の中枢で、水ノ手郭を中心として約一万坪ある。実城とも言い城主の御殿があった所なので城主を実城殿とも呼んだ。
御殿の礎石は、大欅の南方平地に列石状に出土した。主要郭は六ケ所、腰郭には三ヵ所、武者造り、堀切りは壕内道を兼ねている。
本城内に於て、実城、内方、小座、旦那、御入、局等の名称が見られる。
左の方に蛇口型の手水舎と本丸址の石碑。
金山城は、群馬県太田市のほぼ中央にそびえる標高235.8mの独立峰、全山アカマツに覆われた金山に築かれた日本の山城。金山城は全国に複数あり、別名「新田金山城」、「太田金山城」。日本100名城の一つ(17番)。
金山城の歴史
金山城は1469年に新田一族の岩松家純によって築城され、下剋上によって城主となった由良氏の時代に全盛を迎える。上杉謙信や武田勝頼などの有力戦国大名から10数回に及ぶ攻撃を受けたが、金山城は一度も落城することなく、その堅固さを誇った。しかし、北条氏の謀略に落ちて支配下となっていた1590年、豊臣秀吉の北条氏征伐により金山城は廃城となった。
歴史年表
1469年 岩松家純の命により金山城築城
1495年 明応の乱 佐野小太郎、金山城を攻める
1528年 享禄の変 横瀬氏が実験を握る
1565年 この頃、横瀬氏は由良氏に改姓
1573年 由良国繁、桐生城を攻略する
1574年 上杉謙信、新田を攻める
1580年 武田勝頼、新田・館林を攻める
1584年 由良国繁、小田原に軟禁され、国繁母の妙印尼は孫の新六郎(眞繁)を大将として金山城に籠城する。国繁の助命を条件に北条氏に降伏し金山城を明け渡す(桐生城に退く)
1585年 宇津木氏久ほか数名の在番が置かれる
1587年 清水太郎佐衛門正次、金山在番を命じられる
1590年 前田利家ら金山城を接収。金山城廃城。由良国繁、常陸(茨城)牛久に領地を得る
1629年 献上松茸始まる
1688年 金山、将軍家御用林となる
1875年 新田神社、金山に創建される
1934年 金山城跡が国史跡に指定される
2002年 史跡追加指定(18.3ha→97.8ha)
2006年 日本100名城(17番)に選定
2009年 史跡金山城跡ガイダンス施設開館
金山城主系図。
新田神社拝殿。新田神社は、金山山頂にある実城(本丸)に鎮座している神社で、1875年に新田義貞の子孫や地元有志の出願により金山城本丸跡に創建された。鎌倉幕府倒幕を成し遂げた南朝の地元の武将、新田義貞公を祭神として祀っている。新田義貞は鎌倉幕府を滅ぼした武将として有名で、勝運のご利益がありそう。
新田神社の左隣にある御嶽神社。国乃常立神・大己貴神・少彦名神を祀る。大己貴神は別名、大国主神で縁結びで有名な出雲大社の御祭神でパワーを頂けそう。
御嶽神社の左隣にある梅若稲荷神社。宇迦之御魂神を祀る。ここを訪れた時に急に突風が吹き出し驚いた。神様に歓迎されたサインだったら嬉しい。
新田神社の授与所前に絵馬掛け所や休めるベンチがあった。絵馬は拝殿の前のケースに入っているそうだ。
廃城後は新田義貞を祀る新田祠という小さな石宮があった。構造上の特徴としては東北の角を削って「ひずみ」を作り「鬼門除け」がある。
長野県の上田城にも「鬼門除け」があった。
砲弾が奉納してあった。説明書きは無かったので調べてみたら、日清・日露戦争時に戦勝記念として多くの神社に配られたそうだ。
11:10 新田神社裏側にある本丸残存石垣に向かった。
実城(本丸)裏は腰曲輪になっている。
関東平野が見渡せた。足利・佐野方面の景色。
御台所曲輪が見えてきてきた。
御台所曲輪。
11:15 金山城跡の見学を終え駐車場に戻る。大手虎口をもう少し散策した。
11:40頃 駐車場に戻る。休憩を入れずざっと見学してみたら90分程かかった。時間があれば見附出丸も見学したかったがまたの機会に。
金山城跡
住所 群馬県太田市金山町40-106
11:50頃 次は今日宿泊する群馬県嬬恋村にある万座温泉に行く途中にある、八ッ場ダム見晴台に向かった。ここから85㎞程下道を走る。