一人旅 群馬旅行7 金山城跡6/7 大手虎口2/2 南曲輪
2022/7/20 2泊3日 走行480km (ページ6/18 1~7金山城跡 8やんば見放台 9~15万座ホテルジュラク 16幻のキャベツ 17~18中之嶽神社) 前のページへ
10:40 中央通路から正面土塁石垣の突き当りを右に曲がり、大手虎口南上段曲輪に向かう。登りの道でここにも石組み排水路がある。
石組み排水路。
右側が大手虎口南上段曲輪。奥に南曲輪があり左側に進むと本丸方面。
左に南曲輪・右側に中央通路。
右側は大手虎口北曲輪。
大手虎口南上段曲輪。大手虎口南上段曲輪からは、石敷きされた建物の基礎やカマド、井戸址が見つかった。
建物は基礎が石敷きされており、この石敷き基礎には幅約25~30cmの溝が基盤の目のように見られ、建物の柱や床を支えるための「大曳き」や「根太木」などを置く溝で、湿気を防ぐためのものだったと考えられる。
建物の東脇からはカマドがみつかり、建物から火気を遠ざけてていたことから建物は火薬などを備蓄した「武器庫」を兼ねた「兵の詰め所」だったと考えられる。
井戸址には一辺約1.5m、深さ3mで石組みされ、下部にはマツ材でできた井戸枠がそのまま残る。
大手虎口南上段曲輪の建物の西脇は古い時期に通路があり、スロープ状に北から南へ上がっていたが最終的に埋め戻され通路開口部は石垣に寄ってふさがれた。
大手虎口南上段曲輪。古い時期には上段曲輪から下段曲輪にスロープ状の通路があり中央通路まで行き来できた。
井戸址。奥は正面土塁石垣。
上に南曲輪。
南曲輪には休憩施設・トイレがある。
石敷き建物跡の遺構展示施設。
建物の中には石敷基礎の一部が見えるように展示されているそうだが鍵が閉まっていて中に入れなかった。
復元されたカマド。
露岩。
日ノ池。
日ノ池の案内板。日ノ池は15m×16.5mのほぼ円形の池。発掘調査により石垣や石敷、2箇所の石組み井戸、石階段などが発見された。谷をせき止め斜面からの流水や湧水を貯める構造になっていて、往時の姿を可能な限り再現し、石垣や石敷きはできる限り当時のまま残している。
日ノ池は山の上ではまれな大池であり、金山城における象徴的な場所の一つで、単に生活用水を確保した場所ではなく、戦勝や雨乞などの祈願を行った儀式の場所であったと考えられる。水の信仰とかかわる平安時代の遺物も見つかり日ノ池が立地する場所は築城以前から神聖な場所であった。
綺麗な円形の造りでとても大きい池。神聖な雰囲気を感じパワースポットかもしれない。
石組み井戸が二箇所ある。
日ノ池を過ぎ南曲輪に向かう。右に曲がると南曲輪。真っすぐ進むと本丸や新田神社へ行ける。
南曲輪。奥に見晴らしスポットがあり右側に管理用道路が続く。
南曲輪は広く奥まで長く続いている。
パノラマ案内板。秋~冬の晴れた日には秩父山地の上に頭を出す富士山や、広大な関東平野の先には相模大山、スカイツリー、筑波山を望むことが出来るそうだ。
近くに「関東の富士見百景」の碑があった。
1590年の北条氏滅亡と共に廃城になり江戸時代には徳川幕府直轄地となり現在の良好な城跡遺構を残した。
1934年に歴史的価値の高さと遺構の残存状況が良好な事から城跡として「史跡」の指定を受けた。廃城後400年を経過し遺構の多くが樹木や竹・下草で覆われ城の面影は失われていたが、調査の結果、大規模かつ複雑な虎口形態を持っていたことや、曲輪斜面の石垣、石敷通路や土塁石垣など随所に石を多用している山城であったことがわかり、中世末で関東の山城としてはきわめて珍しい「石垣の城」という様相が明らかになった。
大きな金山城の金山城跡地形模型と金山城の碑。
各所の曲輪や、堀切や二つの池等がが立体的に造られている。本丸東にも堀切が3箇所ある。
金山城跡地形模型の後ろには歴史を感じる木製のベンチがあり休みながら大手虎口を見学できる。
南曲輪からの正面土塁石垣・日ノ池。
南曲輪からの大手虎口。
金山城の碑。左にトイレあり。