一人旅 伊豆旅行5 大瀬崎 大瀬神社 パワースポット
2022/7/11~13 2泊3日 走行500km (ページ27/27 1寒川神社 2~5山中城跡 6山正 沼津南店 7北条氏邸跡 8守山 展望台 9~10桂の泉 11蛭ヶ島公園 12~15修善寺温泉 16~18坂聖・玉樟園 19松原公園 20堂ヶ島のトンボロ 21~22堂ヶ島公園 23イカ丼 24はんばた市場 25黄金崎公園 26大瀬崎 27大瀬神社) 前のページへ
15:45 大瀬海水浴場を過ぎ大瀬神社に向かう。
大瀬海水浴場は波は穏やかで海の透明度は高くとても綺麗。
大瀬神社の一の鳥居。
大瀬神社の祭祀。
社務所を過ぎると二の鳥居。
大瀬崎のビャクシンの案内板。
手水舎。
手水舎の先に出札所。この先に伊豆の7不思議の一つの大瀬の神池がある。大瀬神社では神社と神池の拝観料として大人100円(小学生まで50円 3歳未満は無料)支払う。
拝観料を支払う出札所に係員が不在で箱の中に料金を入れるシステムになっていた。平日は係員は不在な様だ。
料金箱横には「正直者は得を得る」と書いてあった。
大瀬神社の御守りや絵馬。500円~。大瀬神社には天狗が住んでいるといわれ天狗の絵馬がある。
出札所にある絵馬殿。由緒書きがある。
大瀬神社の創建時期は不明だが一説に、684年に発生した大地震に伴い海底が隆起して「琵琶島」と呼ばれる島が出現し、同時期の地震で多くの土地が海没した土佐国から「神が土地を引いてきた」と考えた人々がここに引手力命を祀ったのが最初とも言われ、「琵琶島」はやがて砂洲の形成により陸繋島となり大瀬崎となった。
平安時代末期に源為朝や源頼朝や北条政子は源氏の再興を祈願して、弓矢・兜・鏡・太刀などを奉納し、源氏の再興が叶い鎌倉幕府が成立して以降は、多くの武将たちが弓矢や太刀を奉納するようになったとされる。
室町時代には熊野国の水軍の武将であった鈴木繁伴がこの地を支配し祭祀に勤しんだとされるが、その後の度重なる地震や津波で館も奉納品も全て失われた。しかし砂の中からそれらの一部が見つかるに及んで地元の人々がこれらを奉り、何時とはなしに再興されて今日に至っている。
天狗の絵馬を掛ける場所があった。
大瀬神社の三の鳥居。明治19年再建と掘られていた。鳥居前にある社名碑には引手力命神社とあり正式名称は引手力命神社の様だ。駿河湾沿いの漁民の崇敬を集めていて2006年、未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選に施設名「大瀬神社」で選定された。
左右の狛犬も明治に再建かも。
主祭神は引手力命で他にこの神を祀る神社は無い。天岩戸の神話で登場する、戸隠神社奥社等で祀られる、天手力男命に比定する説もあるが、一般に手力男命が山の守護神とされているのに対して引手力命は海の守護の神であり必ずしも定かではない。
大瀬神社の現在の社殿は1939年に再建されたもので、伊豆七不思議のひとつである神池を境内地に持ち、禊の地としてまた海上守護の神として多くの人々の崇敬を集めている。
海上安全を願う人々が赤い褌(ふんどし)を奉納する風習があり、拝殿右にはたくさんの褌が奉納されていた。また漁船の進水式に関連してその漁船の縮尺模型を海上安全と豊漁を祈願して奉納する風習もあり、漁の様子を描いた絵馬や漁船の木造模型などが多数奉納され、その一部が絵馬奉納殿に展示されている。ただ、1892年に発生した火災により、それ以前に奉納されていた模型は焼失してしまった。船を新造する時には、必ずこの神社に参詣し、海上の安全を祈願したと言われている。
拝殿の周りには見事な彫刻が掘られている。
昇り龍・降り龍?の彫刻も見事な造り。
拝殿横に周ると見事な武士の透かし彫り。武士が刀を奉納しているシーンで源頼朝かもしれない。
昔の彫刻家は凄く今でも継承されているか心配になる。
拝殿右側に周ると駿河湾を一望できるスポットがあった。天気が良ければ富士山も見えそう。