一人旅 伊豆旅行5 山中城跡4/4 西櫓 障子堀
2022/7/11~13 2泊3日 走行500km (ページ5/27 1寒川神社 2~5山中城跡 6山正 沼津南店 7北条氏邸跡 8守山 展望台 9~10桂の泉 11蛭ヶ島公園 12~15修善寺温泉 16~18坂聖・玉樟園 19松原公園 20堂ヶ島のトンボロ 21~22堂ヶ島公園 23イカ丼 24はんばた市場 25黄金崎公園 26大瀬崎 27大瀬神社) 前のページへ
12:11 西ノ丸沿いに歩き西櫓下の障子堀を眺める。
天気は曇りで富士山は見えなかった。真中は愛鷹連山?駿河湾と三島市街地がかすかに見える。
西櫓下の西櫓堀。堀内にはほぼ9m間隔に8本の畝が堀の方向に対して直角に作られている。畝はローム層を台形に堀残してつくられたもので高さは堀底から約2m・頂部の幅は約0.6mで丸みを帯びている。畝の傾斜は50度から60度と非常に急峻で平均した堀底の幅は約2.4m・長さは中央で9.4m・堀底から西櫓までの高さは9mもある。現在は植栽されているが400年前はすべりやすいローム層が露出し樹木が全くなかったので堀に落ちれば脱出は不可能だった。
山中城の戦いは豊臣軍約7万が山中城を取り囲こんだ。右翼に池田輝政以下2万・左翼に徳川家康以下3万・中央に総大将の豊臣秀次以下、中村一氏・一柳直末・山内一豊・堀尾吉晴など、総勢2万人と三手に分かれて布陣した。これに対する山中城兵は、城主松田康長以下約4千でその兵力差は17倍だった。
12:15 西櫓への分岐を左に曲がる。真っすぐ直進すれば駐車場に戻れる。
西ノ丸南側の堀は2019年10月の台風19号により堀の一部が崩れた様でビニールシートが掛けられていた。
土橋を登り西櫓に向かう。出入口はここだけ。
東に西ノ丸。
西櫓と西の丸の間の障子堀には一直線に畝が続いていて、平時は通路になっていたのかもしれない。
後北条氏の城には堀の中を区画するように畝を堀残す障子堀が掘られ、西ノ丸と西櫓の間の堀は中央に太く長い畝を置きそこから交互に両側の曲輪にむかって畝を出し障子の桟の様に区画されている。中央の区画には水が湧き出ていて溜まった水は南北の堀へ排水される仕組みになっている。
西櫓。土塁が三方に巡っている。
案内板によると西櫓は馬出だった。
戦国時代の城で二つの虎口と一つの広場が組み合わされたものを馬出と呼び、武田氏の城では馬出の土塁と堀を丸くつくったので丸馬出と呼ばれ、後北条氏の馬出はその形から角馬出と呼ばれた。西ノ丸から障子堀を越えて前方に突き出たこの西櫓を四角に造りそれにそって土塁と堀を巡らしている。
防御する時は西ノ丸の虎口を中心に攻撃に出る時は西櫓を起点として堀の南端の土橋と北端の木橋を用いた。この馬出の築造により攻める機能と守る機能が明らかに区分された。
当時は西櫓と西ノ丸に橋が架かっていた様だ。
掘立柱建物跡。当時建物があった様で弓矢や鉄砲などを立て掛ける施設があったと推測される。
北側は土塁の上に登れる様になっていた。
12:16 土塁上から西櫓。
山中城の本丸側をほぼ一通り散策し、次は岱崎出丸側を散策予定だったが予想以上に時間がかかってしまったのと、足を骨折してギブスが外れまもなく療養中で体力の限界で残念だったので行くのを諦め駐車場に戻る。
12:19 西櫓と西の丸の間の障子堀。天気が良ければここから綺麗な富士山が見える。普段は立入禁止だが三島市にふるさと納税をすると障子堀を歩けるらしい。
西ノ丸南側の堀。
元西櫓下。
元西櫓下の堀はまりもだらけ。
12:22 田尻の池に戻ってきた。
池の近くでザリガニが歩いていた。
山中城は広く上り下りがあるので歩きやすい靴などが必要。駐車場から先には自動販売機がないので夏場は持参が必要。全体を散策すると疲労と時間がかかるので時間に余裕をもった方が良い。
山中城跡
住所 静岡県三島市山中新田 営業時間 見学自由 定休日 無し
12:34 駐車場の自動販売機で水分補給の為日本コカ・コーラ最強炭酸水をコーラだと勘違いして買ってしまい喉が渇いているのにしばらく苦しんだ。次はここから20㎞程先にあるマックスバリュ沼津南店に向かった。