一人旅 伊豆旅行5 山中城跡3/4 西ノ丸 障子堀

2022/7/11~13 2泊3日 走行500km (ページ4/27 1寒川神社 2~5山中城跡 6山正 沼津南店 7北条氏邸跡 8守山 展望台 9~10桂の泉 11蛭ヶ島公園 12~15修善寺温泉 16~18坂聖・玉樟園 19松原公園 20堂ヶ島のトンボロ 21~22堂ヶ島公園 23イカ丼 24はんばた市場 25黄金崎公園 26大瀬崎 27大瀬神社) 前のページへ


北ノ丸から連絡通路を歩き西ノ丸に向かう。足場の悪い山道を進む。左は本丸堀で右は北ノ丸堀。


本丸堀。山中城の堀の特色の一つの畝堀。畝と畝の間隔は一定ではなく西下がりの地形に合わせて畝の上部も階段状に西へ下がっている。城の防備上堀の中の水が深く堀も深いのが良いが高地では普通空堀がつくられる。この本丸堀は畝をつくることにより用水池を兼ねる事ができる。



根っこの道になった。弱った足首と骨折した足の裏が歩くたびに痛い・・・。夏場で虫が凄く立ち止まるとアブや謎の羽虫が襲ってきて立ち止まれない。


11:50 外堀は深く複雑な地形になっていて攻めるのは大変だ。


登って


下る
登山あるある


生垣の道になった。


11:51 左側に二の丸と元西櫓を繋ぐ架橋が見えた。


分岐に出た。真っすぐ階段を登ると西ノ丸・左に曲がると元西櫓・右に曲がると西ノ丸の障子堀をぐるっと一周できる。


分岐にある溜池。貯水池の跡で、山田川の支流の谷がここまで延びてきていたのを盛土で仕切り人口土手を作って深い堀とした。この溜池へ本丸・北ノ丸等の堀水が集まり、また広大な西ノ丸の自然傾斜による排水・元西櫓の排水も流入する仕組みになっていた。深さ4m以上発掘しても池底には達しなかったそうだ。山城の生命は水の確保にあるといわれ、水の確保に異常な努力がうかがえる。


11:53 階段を登り西の丸に向かった。


西ノ丸。3400㎡の広大な面積を持つ曲輪で山中城の西方防備の拠点。西端の高い見張台はすべて盛土をつみあげたもので、ここを中心に曲輪の三方をコの字型に土塁を築き、内部は尾根の稜線を削平し見晴台近い所から南側は盛土して平坦にならしている。曲輪は全体に東へ傾斜していて東にある溜池には連絡用通路を排水口として雨水などが集められるしくみになっていた。自然の地形と人知とを一体化した築城術に北条流の一端を見る事ができる。



左側から西ノ丸へ登ってきた。右にもう一つ登り口があり奥の西端の見張台から先は行き止まり。


西ノ丸と元西櫓の間の堀。


四方を土塁で囲まれている。土塁の傾斜は堀に対して急で内部は緩やかになっている。山中城の様に自然の谷が眼下に迫っている所は土塁は重厚なものではなく土留め程度になる。


奥の見張台に向かってみる。傾斜があり歩いてるだけでしんどい。西の丸は発掘調査で建物の遺構は無かったそうだ。


西ノ丸の見張台。山中城の遺構は石垣などなく土だけででき400年も残っているのは凄くつくづく感心する。


見張台下から左右の出入口。


西ノ丸の見張台は下から盛土によって構築された。発掘の結果、基礎部と肩部に当たる部分を堅固にするためにロームブロック(粘性質の高い土壌)と黒色土を交互に積んで補強していることが判明した。標高は約580mで本丸の矢立の杉をはじめ、諸曲輪が眼下に入り連絡・通報上の重要な拠点だった。



西ノ丸の見張台から西ノ丸。


西ノ丸のさらに西に西櫓が見える。


北側からは西ノ丸の綺麗な通称ワッフル堀(障子堀)が見えた。



遠くに富士山が見えるはずだったが曇りで見えない。


12:03 西ノ丸のもう一つの出入口から降りて西ノ丸の障子堀を見に向かった。
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元西櫓下は大きなまりもだらけだった。


元西櫓下は絶壁。


紫陽花が沢山咲いていた。


12:06 西ノ丸の右側から反時計回りに西ノ丸をぐるっと一周する。


西ノ丸の外堀も深く天然の要塞だ。


途中西ノ丸側に人工的につくられたような溝があった。これも排水口?


途中からクネクネと九十九折の登り道になった。


傾斜がそこそこありしんどい。虫も凄い。


12:08 階段を登りきるとやっと平坦な道になり休憩できる東屋があった。


西ノ丸堀が見えてきた。左が西ノ丸。西ノ丸堀は山中城の西方防備の拠点にふさわしく広く深く堀の末端は谷に連なっている。西櫓と西ノ丸の間は中央に太い畝を置き交互に両曲輪にむかって畝を出しているが、西ノ丸の北側では東西に畝をのばして堀内をより複雑にしている。このように複雑な堀の構造は世に伝えられる「北条流堀障子」の変形であり学術上の価値も高いそうだ。


右に西櫓。綺麗なワッフルと大きなマリモ。山中城の傾斜には大きなマリモが至る所にたくさんあったのでもしかしたら、もし下に転落してもマリモに引っ掛かり転落防止用なのかもしれない。



障子堀は主に北条氏の城に見られる特徴的な堀で、堀の中に土手状の壁を堀り残してつくる。衝立障子を並べたようなつくりから「障子堀」と呼ばれている。現在は保護のために芝を張ってあるが当時は滑りやすい土のままで今よりも深く、アリ地獄のように一度落ちたら二度と上がれないつくりだったそうだ。

12:11 西ノ丸をぐるっとまわり奥に見える西櫓に向かう。

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