一人旅 伊豆旅行5 山中城跡2/4 本丸 天守櫓 北ノ丸

2022/7/11~13 2泊3日 走行500km (ページ3/27 1寒川神社 2~5山中城跡 6山正 沼津南店 7北条氏邸跡 8守山 展望台 9~10桂の泉 11蛭ヶ島公園 12~15修善寺温泉 16~18坂聖・玉樟園 19松原公園 20堂ヶ島のトンボロ 21~22堂ヶ島公園 23イカ丼 24はんばた市場 25黄金崎公園 26大瀬崎 27大瀬神社) 前のページへ


11:33 二の丸を進むと本丸手前に二の丸櫓台があった。


二の丸櫓台の北側は深い堀になっていた。奥に北ノ丸と西の丸・元西櫓方面への連絡通路がある。


二の丸櫓台は東西12m・南北10mあり復元された。


二の丸櫓台からの二の丸の景色。



二の丸と本丸の間の本丸西堀。


架橋の先が本丸。



本丸と二の丸との間には土塁と空堀が配され奥の空堀は鉤型に曲がり南下の箱井戸へと続いている。本丸と二の丸は橋で繋がっていたが、本丸側半分が土橋になっていて二の丸側は木橋になっていた。


敵が攻めてきた時には橋を壊して敵を渡らせなくしていた。橋を壊しても左側の二の丸と本丸の土塁は繋がっていて連絡通路になっていた。今は通行の安全の為立派な架橋が掛けられているが当時は簡単な架橋施設だったそうだ。


本丸西堀。堀底から本丸土塁までは9mもあり深く急峻な堀だった。二の丸側には幅30~60cmの犬走が造られていている。
柔らかく滑りやすい関東ローム層の土を削って障子の桟状に造った「障子堀」は、攻めこんだ敵の移動を制限させ行く手を阻む北条氏得意の防御施設。


一度堀に落ちたら登るのは大変そうだった。


奥の本丸西堀。鉤型に曲がり南下の箱井戸へと続いている。



11:37 架橋を渡ると本丸がある。本丸はこじんまりとしている。


本丸は標高578mの地にあり面積は1740㎡の広さで、南側にある二段の平場で構成されていた。


この曲輪は盛土によって一番下にある兵糧庫側から約2mの段を造り二段の平坦面で築かれている。この三段の曲輪全体が本丸を構成していて本丸は三方を高さ5m・底辺幅15mの大土塁が囲み、北西隅に高さ8mの天守櫓台が設けられていた。


二段目は狭い。


兵糧庫まで行きたかったが、骨折した足が痛いし猛暑でTシャツはビショビショだったので諦め天守櫓台に向かった。


本丸から左に進むと北の丸・真っすぐ進むと天守櫓・右に進むと兵糧庫。



矢立ての杉。山中城天守櫓に接していて樹齢500年前後、樹高31.5mある。矢立ての杉の呼称の由来は出陣の際に杉に矢を射立てて勝敗を占った事に由来する。


天守櫓へ登る。


天守櫓跡。標高586mで山中城第一の高地に位置する。天守は基壇(土で築かれた土台)の上に建てられこの基壇を天守台という。基壇は一辺7.5mのほぼ方型で盛土に寄り50~70cmの高さに構築されその四方には幅の狭い帯曲輪の様な通路が一段低く設けられている。天守台には井楼・高櫓が建てられていたと推定される。


天守櫓から二の丸の景色。


11:42 北側に広い北ノ丸が見える。北ノ丸に向かった。



本丸と北ノ丸は堀により分かれている。



本丸と北ノ丸を結ぶ架橋。発掘調査で架橋の存在が明らかになり復元された。



架橋から本丸と北ノ丸堀。


北ノ丸。標高583mで天守櫓に次ぐ山中城第二の高地に位置し面積は1,920㎠ある曲輪。この曲輪は堀を掘った土を尾根の上に盛土して平坦面をつくり本丸側を除く三方を土塁で囲んでいた。


北ノ丸の土塁。



11:47 北ノ丸堀の展望台。



山城の生命は堀と土塁にあるといわれ、堀が深く幅が広いほど曲輪につくられる土塁が高く堅固になる。北ノ丸を囲むこの堀は400年の歳月で堀底を2m以上埋めているので築城時はより深く要害を誇っていた。城の内部に敵の侵入を防ぐためこの堀は山中城全域を囲むように掘られ水の無い空堀となっている。
11:46 北ノ丸から北ノ丸堀沿いに通路があり西ノ丸に向かった。

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