一人旅 伊豆旅行5 修善寺温泉2/4 独鈷の湯 源頼家の墓 指月殿

2022/7/11~13 2泊3日 走行500km (ページ13/27 1寒川神社 2~5山中城跡 6山正 沼津南店 7北条氏邸跡 8守山 展望台 9~10桂の泉 11蛭ヶ島公園 12~15修善寺温泉 16~18坂聖・玉樟園 19松原公園 20堂ヶ島のトンボロ 21~22堂ヶ島公園 23イカ丼 24はんばた市場 25黄金崎公園 26大瀬崎 27大瀬神社) 前のページへ 


12:23 竹林の小径を進み桂橋(むすばれ橋)を渡り修善寺温泉中心街へ向かう。


桂橋から桂川の景色。右は新井旅館。



新井旅館前の小道を進む。


12:25 小道を抜けると修善寺温泉の中心街が見えてきた。無料の足湯があった。


足湯の近くに「鎌倉殿の13人」の伊東祐親のパネルがあった。北条義時の祖父。平家に仕えた伊豆の豪族で八重の父。QRコードがあり、モバイルスタンプラリーができる。


足湯の先に修善寺温泉のシンボルの独鈷の湯があった。


独鈷の湯(とっこのゆ)は、修善寺温泉にある史跡的な温浴施設で伊豆最古の温泉ともいわれる。温泉地区を流れる桂川の川中にあり、土台の岩や大きな石を組んで浴槽をかさ上げし、湯を楽しめるようになっている。かつては入浴することができたが、現在は法律上の浴場としての位置付けではないため禁止されている。見学のみで足湯も禁止。


空海(弘法大師)が807年に修善寺を訪れたとき、桂川で病んだ父親の体を洗う少年を見つけ、その孝行に感心した大師は、「川の水では冷たかろう」と、手に持った独鈷杵で川中の岩を打ち砕き霊泉を噴出させた。大師が温泉が疾病に効くことを説き、これにより父子は十数年来の固疾を時間を置かずして完治させることができた。という伝承が残っている。これよりこの地方に湯治療養が広まり修善寺温泉が始まったとされる。


戦前までは岩の隙間などから自然に湯が湧き出ていたと伝わるが、現在は給湯管で湯を引き入れている。かつては、修善寺温泉に7箇所あった外湯のひとつであったが、現在は同温泉地のシンボルとして位置づけられ管理されている。
独鈷の湯は川中に突き出たその形状のために、豪雨の際に流れが阻害され、氾濫を引き起こす原因となりかねないとして、県の計画により2009年4月に19m下流の川幅の広い位置に移動させられた。
次は筥湯に向かってみた。



虎渓橋(あこがれ橋)。


虎渓橋の近くに修善寺。後で寄ろう。


渡月橋(みそめ橋)。


筥湯に隣接する仰空楼が見えた。仰空楼は修善寺の温泉場が見渡せる展望台。


渡月橋を渡る。奥には大きな駐車場があった。



12:31 筥湯に到着。筥湯は修善寺川沿いにあった七つの外湯のひとつで、1204年に幽閉されていた鎌倉幕府二代将軍の源頼家が、入浴中に北条氏の刺客に襲撃された温泉だったと伝えられている。七つあった外湯は独鈷の湯のみ残されていたが、2000年に日帰り入浴施設として筥湯が再建された。
かつてこの付近にあった旧「筥湯」跡を旅館新築の基礎工事のため掘ったところ、古い湯殿跡が発見され頼家入浴の温泉ではないかといわれる。
内湯のみで、営業時間は12:00~21:00。入浴料は350円(小学生以上)。少し離れた場所にある小山駐車場を利用の場合は、駐車券提示で筥湯にて300円(3時間分)のサービス券を発行してくれる。
備えつけは無く持参するか、販売もしていてタオル100円・石鹸 50円・シャンプー&リンス 50円。


筥湯に隣接する高さ12mの展望台の仰空楼。土足現金で登ろうと思ったが無料かわからなかったので登らなかった。後で調べたら無料で登れ修善寺の温泉場が見渡せるそうだ。


筥湯の前に「鎌倉殿の13人」の北条時政のパネルがあった。伊豆の豪族。北条義時・政子の父。
次は源頼家の墓に向かった。案内板が至る所にありわかりやすい。


12:33 昔ながらの射的場があった。


案内板にはここを左折して95mとありわかりやすい。


裏通りみたいな坂道を登っていく。源頼家の墓は鹿山の麓にある。



歴史を感じる石段をさらに登っていく。


 石段を上がると広場になっていて源頼家の家臣十三士の墓があった。ベンチがあり一休みできるが夏で虫が多く蜂が何匹か飛んでいてゆっくりできなかった。


源頼家の家臣十三士の墓。源頼家の家来13人が、源頼家が殺害された後に、反乱を企てたが発見されてしまい、誅殺されたととも、殉死したとも伝わっている。


源頼家の墓はさらに登った先にある。


源頼家の墓の前に「鎌倉殿の13人」の源頼家のパネルがあった。源頼朝・政子の長男。
お伺い石があり、自分の願いが叶うか叶わないか持ち上げてみて石の重さで占う事ができると云われている。もし重く感じたら隣にある指月殿で祈願すると願いを叶えてくれると言われる。


石段を登った先に頼家の墓がある。


頼家の墓。手前の大きな碑は1704年の500回忌にあたって時の修善寺住職が建てた供養塔で、墓はその裏にある2基の小さな五輪石塔。
源頼家は1199年に父頼朝の後を継いで18歳で鎌倉幕府の二代将軍となり、北条氏を押さえて幕府の基礎作りに懸命だったが、大きく揺れ動く時流と、醜い駆け引きに終始する政争に破れ在位わずか6年でこの修善寺に流され、1204年祖父北条時政の手で入浴中に暗殺された。(享年23歳)
源頼家の墓の右に進むと指月殿がある。


12:38 修禅寺の飛び地境内にある指月殿。1204年に修善寺で暗殺された頼家の冥福を祈って母政子が修禅寺に寄進した経堂で、伊豆最古の木造建築物といわれている。指月とは経典を意味し禅家(僧侶)が愛用している不立文字(禅宗の教義を表す言葉)を解く言葉。建立の際、政子が寄進した、「宋版大蔵経」は大半が散失し8巻しか残っていなく「放光般若波羅蜜多経」の第23巻が静岡県指定文化財になっている。
堂内中央に禅宋式という珍しい様式の丈六釈迦如来座像が安置されていて、寄木造りで高さは203cmあり、持ち物はないはずの釈迦像が右手にハスの花を持っているのが特徴。


左手に蓮の花を持つ釈迦如来坐像。静岡県彫刻文化財に指定されている。1982年から2年がかりで解体修復されスギを主体にマツなどを材料にした寄木造りで、大小約2,000個の木片で造られていたそうだ。


指月殿の前に「鎌倉殿の13人」の北条政子のパネルがあった。源頼朝の妻で北条義時の姉。


指月殿の前に「拈華微笑」の絵馬の自動販売機があった。
~言葉を使わず心から心へ想いを伝える~
甘将軍ともいわれる北条政子は息子である鎌倉二代将軍源頼家のために指月殿を建立しました。家督争いに巻きこまれた息子、政子はどんな思いでこの経殿を建てたのか・・・。拈華微笑の教えにあるように政子の想いは頼家にきっと届いたことでしょう。大切な人への想いを絵馬にこめ指月殿絵馬掛け台に奉納し、お釈迦様に手を合わせてく下さい。


お釈迦様のおはなし
お釈迦様がたくさんの弟子たちの前で一言も語らずに一輪の蓮の花を差し出します、弟子たちはその意味を理解できずにいると弟子の一人である摩訶迦葉だけがニッコリ笑ったのです。お釈迦様は何も語らずともその教えを理解した摩訶迦葉に真理を授け後継ぎに指名しました。これが「拈華微笑」「以心伝心」の由来なのです。


隣にある絵馬掛け台と頼家の墓。


境内にある手水舎。
次は修善寺に向かった。

源頼家の墓 指月殿

住所 静岡県伊豆市修善寺934 営業時間 見学自由 駐車場 有料駐車場あり


12:42 虎渓橋近くにある独鈷の湯公園で人力車と遭遇。料金は20分1名2,000円(基本コース)からで、修善寺温泉街をぐるっと1周する。人気の「竹林の小径 堪能コース」は30分1名3,000円で、修善寺温泉街観光に加え、修善寺温泉の中心にある大人気の観光スポット竹林の小径に人力車で入る。


独鈷の湯公園に「鎌倉殿の13人」の比企能員のパネルがあった。武蔵・比企郡の豪族。源頼家の乳母夫。大河ドラマの佐藤二朗氏に少し似ている。


独鈷の湯公園。修善寺温泉発祥の独鈷の湯の対岸側にある公園。


その昔、桂川の河原で病気の父の背中を流していた少年を不憫に思った弘法大師(空海)が、持っていた仏具(独鈷杵とっこしょ)で川の岩を打ち霊泉を湧き出させたという伝説の独鈷の湯にちなんで作られた公園で、石造の独鈷杵のオブジェや、湯掛け稚児大師像がある。


公園内にはリバーテラス・杉の湯」がありテラスとテーブル付きの足湯が設置され桂川のせせらぎ、独鈷の湯を眺めながらゆったりと過ごすことができる。その昔にこの足湯付近に外湯の「杉の湯」があった。


テラスから桂川の景色。対岸伊に足湯の河原湯が見える。


独鈷の湯。


虎渓橋と修禅寺。
修禅寺に向かった。



虎渓橋からの景色。
12:44 修禅寺に向かった。

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